もし、人生に伏線があるとしたら——。
なぜか、急に行きたくなる場所ってありませんか?
特別な理由があるわけでもないのに、「今、行かなきゃいけない気がする」そんな感覚。
あの日の私は、まさにそれでした。
保久良神社に行きたくなった理由

向かったのは、保久良神社。
普段からよく行く場所でもなく、特別なきっかけがあったわけでもないのに、なぜか気になって仕方がなかった場所です。
そしてその日は、緊急事態宣言の3日前。
あとから思えば、あのタイミングで行ったこと自体にも、何か意味があったのかもしれないと感じています。
「呼ばれた」と感じた理由

当時はただ「来てよかったな」くらいの感覚でした。
でも時間が経ってから振り返ると、あのときの直感は、ただの思いつきではなかったようにも思えてきます。
いわゆる「呼ばれた」という感覚。
もちろん断定はできませんが、そう感じてしまう出来事というのは、確かにあるのかもしれません。
保久良神社とカタカムナの共通点

その後知ったのが、カタカムナという考え方です。
カタカムナでは、言葉や音にはそれぞれ意味があり、ただの記号ではなく「エネルギー」として捉えられています。
つまり、名前も単なる呼び名ではなく、その人の本質や方向性を表している可能性があるという考え方です。
そう考えたとき、自分の名前に含まれる意味と、これまでの選択や今の活動が、どこかでつながっているように感じました。
もし自分の名前に意味があるとしたら、今の生き方とどこかつながっていると感じたことはありますか?
そこにある「統合」や「本来の状態に戻る」という考え方が、どこか保久良神社で感じた感覚と重なって見えてきました。
点と点だったものが、少しずつつながっていくような感覚です。
身体を整えるという仕事とのつながり

自分の本来の状態に戻るという意味では、身体も同じなのかもしれません。
今、自分がやっているのは、身体のつながりと体軸を整えることで、ゆがみや不調を改善していくことです。
筋肉をバランスよく使える状態にし、動きやすく疲れにくい身体へと導いていきます。
効果が出ないのは、才能ではなく身体の状態に原因があるのかもしれません。
振り返ると、「整える」「本来に戻す」という流れは、最初からどこかにあったのかもしれません。
保久良神社はなぜ「呼ばれる」と言われるのか

保久良神社に「呼ばれる」と感じる人がいる理由は、明確に説明できるものではありません。
ただ、直感的に惹かれる場所やタイミングには、自分自身の状態や流れが関係している可能性もあります。
カタカムナの考え方でいう「バランス」や「調和」といった視点から見ると、それも一つの解釈として成り立つのかもしれません。
まとめ

もし今の自分に違和感があるとしたら、それはまだ整っていないだけなのかもしれません。
そして、なぜか気になる場所や感覚も、何かのヒントになっている可能性があります。
保久良神社での体験や、カタカムナとの共通点を通して、そんなことを感じました。

