護摩焚きに興味を持ったきっかけは、保江邦夫さんの著書**『祈りが護る國 アラヒトガミの霊力をふたたび』**でした。
本書の中で紹介されていたのが、神戸・鏑射寺の中村公隆阿闍梨です。
鏑射寺に行くきっかけとなった書籍の内容

保江邦夫氏の本の中では、太平洋戦争末期の状況や昭和天皇の霊力に触れる記述がありました。
特に、昭和天皇による原爆投下計画と日本の要人による霊的対応の話や、マレーシア航空340便が、マレーシアのクアランプールを飛び立って、北京に向かう途中で、消息を絶った話など、非常に興味深いものでした。
鏑射寺や阿闍梨の護摩焚きに興味を持つ大きなきっかけになりました。
天皇陛下にお会いするのは難しいが、中村阿闍梨にならお会いできるかもしれない。
せめて講話だけでも聴ければ・・・
そんな想いで、鏑射寺へ行きました。
鏑射寺までの道中
JR宝塚線の道場駅で下車しました。
駅自体は特に何の変哲もない地方の駅で、人影もほとんどなく、本当にここが鏑射寺の最寄駅なのか少し不安になります。
タクシーは捕まらず、駅から約2キロの道のりを歩くことに。
道中は急な坂道や田舎道が続き、人の気配もほとんどありません。
途中、何台もの車やタクシーに追い越されるたびに
「まさか、これ全部鏑射寺に向かう人たち?」
と驚きました。
約30分ほど歩き、山道の途中に突然現れる鏑射寺。
駐車場には多くの車が停まっており、駅からの静けさとのギャップに改めて驚かされました。
この道中の静寂と突然の賑わいも、護摩体験の印象を深める大切な体験です。
護摩焚きの迫力と体験

護摩終了後に撮影した不動明王様。

その隣に合った毘沙門天様。
護摩堂の周りには、中に入れない人が外に溢れていました。
かなりギューギューでしたが、せっかく来たのだからと最後部を陣取ることに成功。
護摩堂の写真を撮り忘れました。
撮ってる余裕がなかったのです。
初めて鏑射寺の護摩焚きに参列した時、まず圧倒されたのはその迫力です。
最後尾で前が見えなかったのですが、中村阿闍梨の姿は確認できませんでした。
他のお寺の護摩に比べ、炎の勢い、読経の音、そして堂内の空気感が段違いでした。
1時間ほどの護摩焚き中、私は外からの参列でしたが、音と炎、そして阿闍梨のお弟子さんたちの声が重なるにつれ、胸の奥や心臓のあたりにじんわりと反応がありました。
怖さや高揚感ではなく、雑念が一枚ずつ剥がれていくような静けさを感じます。身体の変化としては:
- 呼吸が自然と深くなる
- 背中の力が抜ける
- 無意識に肩が下がる
言葉で表すと「すごい」ではなく、**「元に戻る」「整う」**感覚です。
スピリチュアル体験というより、身体がニュートラルに戻る感覚として受け取りました。
阿闍梨の講話

護摩焚きの後、中村公隆阿闍梨の講話を聴く機会がありました。
運よく最前列を確保でき、間近で中村阿闍梨にお目にかかることができました。
話の内容は当時コロナ渦(2021年の11月)だったため、「密でも問題ない」と話をされてたのが印象深い。
ソーシャルディスタンスが騒がれてた時期でしたが、「ウイルスは、まったく問題」と話されてました。
多くの参列者がいましたが、密な状態で講話がスタート。
話の内容はすごくシンプルでしたが、言葉が頭ではなく身体に染み込むような感覚があります。
普段だと長話を聞くのは退屈に感じますが、阿闍梨の言葉は一言一句聞き逃すまいと食い入るように聞いていました。
講話終了後
多くの参列者が阿闍梨に声をかけていましたが、私は少し離れた場所から会釈して帰ろうとしたとき、阿闍梨から
「遠いところ、ご苦労さま」
と声をかけていただきました。短い一言ですが、深く心に残っています。
護摩焚きは「お願い事」より「整える時間」
私自身は神社仏閣を訪れる際、個人的なお願い事はせず感謝だけを伝えます。護摩焚きも同じで、何かを得る場ではなく、自分を整える時間という印象です。
身体が整うと、思考や感情も自然と落ち着きます。整体や身体調整の現場で感じる感覚と重なります。
▶ 護摩焚きと「身体が整う感覚」について詳しくまとめた記事はこちら
→ 護摩焚きと好転反応!魂が揺さぶられるスピリチュアル体験

おまけ
本堂と護摩堂以外にも波動が高いエリアがあり、撮影させていただきました。
鏑射山山頂のエリア

大師堂の弘法大師様

三重塔の中にある虚空蔵菩薩像

三重塔内の虚空蔵菩薩像は、静かに目を閉じて手を合わせると、護摩焚きで感じた静けさと同じ「整う感覚」が得られるように感じました。
護摩焚きの体験を通して、身体や心が自然に整う感覚を実感できました。
鏑射寺で感じたような「整う体験」を日常でも取り入れたい方は、ぜひこちらの身体調整メニューもチェックしてみてください。



