伊勢神宮は日本最大、世界的に見ても有数のパワースポットだと思ってます。
2013年12月、4年以上にわたる借金生活に終止符を打ち、人生初の1人旅に向かったのが伊勢神宮でした。
人生に1度の伊勢参りと言う言葉にもあるように、パワースポットの空気感や波動をじかに感じてみたかったからです。
伊勢駅を降りてまず外宮へ向かったのですが、鳥居をくぐってから明らかに周りの空気が変わったのを実感。
12月の寒さとは違う、明らかに澄み切ったピーンとした空気に圧倒されました。
鳥居が結界の役割をしてて、俗性と神域の境目になっている。
それは内宮に行っても同じでした。
それから4回訪れることになります。
2019年には身垣内参拝もさせていただきました。
身垣内参拝とは本殿の向こう側にある、聖域に立ち入らせていただく参拝を言います。
ここで不思議な体験をしました。
参拝前に神職の方のお祓いを受けるのですが、いきなり風が吹いて、どこからともなく水しぶきが顔にかかったのです。
自然現象なので、お祓いとは関係ないです。
「汚れた自分を祓っていただいた」
自分では体軸が安定してある程度のレベルにあると思ってましたが、神域からするとまだまだなのかもしれません。
気になったのでネットで調べると同じような経験をした方がいて、歓迎されてると書いていました。
真意は、わかりません。
とにかく不思議な体験でした。
1人旅なので、この感動を誰かに話したいと思いフェイスブックに投稿。
するとこんなコメントがつきました。
「外宮に行った帰りに鳥居を出たところで、何もないところで転倒して大けがをした。」
「そんな場所をパワースポットなどと言ってるのはどうかしてる」
と言うのです。(*同じ人が長文でコメントしてきました)
前置きが長くなりましたが、ここから本題に入ります。
伊勢神宮に対する見解がなぜ違うのか?
伊勢神宮に行ってはいけない人
伊勢神宮のエネルギーは柔らかいので、どんな人も受け入れてくれます。
私のようなスピ系に疎い人間でさえも、何かを感じさせてくれる。
そんな素晴らしい場所なので、伊勢神宮側が参拝者を選ぶことはありません。
問題は参拝する側の人間です。
先ほどコメントした方の言動に違和感があったので、チェックするとマイナス波動でした。
背後に憑いてるモノが、結界の役割をしてる鳥居を通過できず、俗性側で待ち構えていたのです。
そして2度と訪れることがないよう、後ろから突き飛ばした。
そんな反応がありました。
コメントした方も、後ろから突き飛ばされてような感覚があったと話していました。
イメージで鳥居の画像に、その方を通そうとすると通過できないのです。
なぜか引き戻されてしまう。
そもそも旅の思い出話をつづっただけの投稿に、わけのわからないやっかみを入れてくる時点でまともでないことはたしかですが・・。
伊勢神宮に行けない人
伊勢神宮に行くと言うお客様がいました。
伊勢への旅を1週間後の控えたある日、
「行ったら無事に帰ってこれないかもしれない」
と言う原因不明の胸騒ぎがすると言うのです。
ちょうど調整日だったので、みてみることに。
たしかに鳥居をくぐれないと言う反応がありました。
画像からイメージで、鳥居をくぐってもらうと軸ブレするのです。
なにかがおかしい。
チェックすると、とある宗教団体の反応がありました。
この方は親族が新興宗教にはまってて、自宅に関連するものを持ち込むのだそうです。
自宅にアンテナが反応してました。
アンテナとは外部のマイナス波動と、つながってしまうものを言います。
新興宗教は、すべてマイナス波動です。
「ご自宅に何かあるのではないか?」
と話しましたが、持ち込んだものはすべて処分してると言うのです。
仕方ないので自宅のすべてのエリアをイメージしてもらい、1部屋ずつOリングでチェックしました。
反応がった部屋を特定して、該当するものがないか探してもらうことに。
基本アンテナへの対処は処分するしかありません。
量子もつれと言って、離れた場所でもイメージするだけで身体が反応するのです。
後日メールがあり、イメージしたエリアに該当するものがあったそうです。
「処分すれば、無事に帰ってこれる」
と言う反応に切り替わったので、その旨をお伝えしました。
そのかいあってか、無事に伊勢への旅を楽しまれたそうです。
Oリングとキネシオロジーテスト
食あたりを起こす草食動物はいないことをご存じでしょうか?
人間のようにネットや図鑑で調べることもせずに、どうやって判断してるのでしょうか?
万が一口に入れたとしても、咬筋(かむ力)が弱まり咀嚼できないので吐き出してしまうのです。
カラダが違和感を感じると、筋肉が抑制弱化して教えてくれるのです。
口に入れなくてもその場に立っただけで違和感を感じるので、その場を離れるのだそうです。
動物だけでなく、人間にも同じ機能が備わっています。
原始時代に人は捕食されたり、部族間の殺人で命を落とすことが多かったそうです。
この場所は危険な場所か?
目の前にいる人間は、信頼できるのか?(敵か味方か?)
第6感と言うか、感覚的に判断していたのでしょう。
そういう感覚が乏しかった人は、後世に遺伝子を残すことができなかった。
つまり今を生きる我々は、過酷な原始時代を生き抜いた人の末裔で、第6感的な能力が遺伝している。
理屈も大事ですが、そういった感覚も大事にしていきたいと考えています。
呼ばれただの御利益があっただの言う人に対して
〇〇に呼ばれた。
△△に行ったら、こんなご利益があった。
ネット上では、そんなことを言う人がいます。
すべてでたらめだと思ってます。
神域や聖域が、個人を呼んだりご利益を渡すことはないでしょう。
休日に家でくつろいでたら、何回もインターホンを鳴らされたので、玄関を開けると小銭を投げつけられ、何かいろいろ頼まれごとを言われる。
これまでいろんな神社仏閣を訪れましたが、祝詞を延々と大きな声で唱える人や、君が代を熱唱する集団など、わけのわからない参拝者を多く見てきました。
参拝と言いつつ、これと似たようなことをやってるのが実情です。
参拝するときに気を付けてるのは、神々を使い走りにしないこと。
あくまでも参拝させていただいたことに感謝をささげるだけです。
整った体軸により現実が良くなることはあっても、何かをしてくれる存在ではないのです。
あくまで自己努力。
私はこれまで「呼ばれた」と思ったことは1度もなく、神域に立ち入らせていただいたと考えるようにしています。
人が立ち入りを許可しても、神仏からすると立ち入りを許可してないエリアも絶対にあるはずなので。
なるべく失礼がないよう参拝してます。
厳かな気持ちにさせてもらうので、意識しなくても自然とそうなってしまう。
自分を見つめる旅の地点として、伊勢神宮を訪れています。